zero_blogの日記

虚心坦懐

裏口入学

あるお笑いの方が(ご本人は他の芸人と一緒にするなというプライドをお持ちかもしれないが)、裏口入学と書かれて怒り心頭のご様子である。
きちんと実力で入学したのに、裏口と謂れのないことを言われたら心外であろうことは察するに余りある。。。が、
某大学芸術学部への(正式 or 裏口)入学を経て、成功されたお笑い芸人の今、怒れば怒るほど、なんだかなぁという気になってしまう。正直、どっちでもいいと思ってしまうのは自分だけ?
医者や技術者が一定のフィルターを掛けられるのは相応の意味があることは理解できる。適切な素養がない方にはやって頂きたくない職業だ。
一方、お怒りの方がお笑いのプロならば、ネタにするぐらいの対応がほほえましいと感じるが、ご本人的にはプライドが許さないのでしょう。
どうでもいい事ばかり画面に映っていると、ますますテレビを見なくなっていく。

 

今日も泣いている

近所が寝静まるころ、家の外からエンジン空ぶかしの爆音バイクが近づいてきて遠ざかる。今日は2台か~なんて、家内も無表情でぽつり。ほぼ無反応。

よく、お正月の初日の出暴走族を恒例のようにテレビで取り上げるけど、どっちもどっち。警察にお任せしようよ。映す価値ないじゃないかと思う。

街を通り過ぎるバイクの爆音。僕には泣き声に聞こえる。行き場がない。愛されない。どうしていいか分からない。彼らは世の中に見捨てられ、成長できないまま体が大きくなった赤ん坊。バイクの爆音を泣き声にして、今夜も泣きはらす。

哀れむことで不思議と怒りは湧いてこない。

虚心坦懐に。思うまま。

長続きするか、分かりませんが、50代を機に、何かしら日常ふと思うところを記してみたくなりました。

51歳、天命を知る年代とのことですが、天命を受けとめるという表現の方が自身の気持ちに近いと感じています。

平成も終わりに近づき、次世代に生まれる子供にしてみれば、昭和生まれの私たちは、自分たちにとっての明治生まれに相当するようになるのでしょうね。

昭和のおじさんとして残骸と評されても思いを残すか。